◆◆◆◆◆
魔王が討伐された――その報せが王城に届いた。
国中が歓喜に沸き立ち、祝祭の鐘が鳴り響く。
王城の廊下では召使いたちが忙しなく駆け回り、兵士たちが誇らしげに戦勝を讃え合っていた。
人々は皆、魔王の滅びを祝い、安堵していた。
だが――
その喧騒とは裏腹に、遥の部屋の中では静かな苦しみが続いていた。
◇◇◇
遥は、暗い部屋の中でひとり震えていた。
戦いは終わったはずなのに、なぜまだ痛みが続くのか。
「……くそ……どうして……」
体中に広がる鋭い痛みが、遥を襲う。
剣で斬られたような痛み、拳が砕けるような衝撃――
それらが絶え間なく続き、遥はベッドの上で息を乱していた。
「戦いは……終わったんだろ……?」
苦しげな声が漏れる。
それなのに、コナリーの傷は増えていく。
彼は、まだ戦っている。
遥は知らず、言葉に出していた。
「……どうして……戦い続けるんだ……?」
震える声で、遥は遠く離れたコナリーに問いかけた。
「もう、いいだろ……戻ってこいよ……」
魔王は討伐された。
使命は果たされたはずだ。
「……傷つくなよ……」
何度も、何度も――
◆◆◆◆◆魔王討伐の一行が、ついに王城へ帰還した。街は歓喜に包まれ、人々は勇者たちを称える歓声を上げた。王城の大広間では、すでに祝勝の宴が始まっていた。大広間の中央――王子は誇らしげに立ち、魔王の小指を王へ捧げた。「陛下、これこそが、私が魔王を討伐した証です!」硬化を免れた魔王の小指。それを王の前に掲げた王子の姿は、どこまでも堂々としていた。「おお……!」王は感嘆の声を漏らし、貴族たちは口々に賞賛の言葉を述べた。「王子様こそ、この国の希望だ!」「素晴らしい……!」王子の名声は、一夜にして確固たるものとなった。そんな中、彼を支えた聖女として、ひとりの少女が王子の横に並び立つ。「魔王討伐において、私を支えてくれたのはこの聖女だ!」少女は頬を赤らめ、恥ずかしそうに微笑んだ。彼女の名が呼ばれるたび、人々の喝采は大きくなる。その光景を目の当たりにしながら、遥はある異変に気がついた。――コナリーがいない。どれだけ目を凝らしても、討伐隊の中に彼の姿はなかった。遥は、人々の間をかき分けるようにして王子のもとへ向かった。「王子……」
◆◆◆◆◆王城の門が見えたとき、コナリーはわずかに足を止めた。夜明けの空が白み始め、冷たい風が肌を撫でる。静かに門をくぐると、城内のざわめきが耳に入った。「……」彼は、ふらつきながらも前へ進んだ。剣を握っていた手は、すでに感覚がなかった。何度も魔王の亡骸を砕き続けた結果、骨は砕け、指は元の形を失っていた。――もう、剣を握れない。その現実を前に、コナリーは初めて戸惑った。これまでの人生、ただ戦い続けることしか知らなかった。王国一の騎士の息子として生まれ、強くあることだけを求められてきた。もし、それができなくなったら、自分は何者になるのだろう。「……どうすればいい」その答えを見つけられぬまま、コナリーは静かに俯いた。――だが、そのとき。「……コナリー!!」遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえる。コナリーが顔を上げた瞬間、遥が駆けてくるのが見えた。「コナリー……!!」彼は目を見開いた。遥の頬には涙が伝っていた。そのまま彼の前に飛び込み、強く抱きつく。「……!」コナリーの体が、僅かに揺れる。「もう大丈夫だから……」遥は震え
◆◆◆◆◆祝福の宴は、コナリーの登場によってざわめきに包まれた。王城の大広間に響いていた賑やかな笑い声は、静寂へと変わる。その場にいた誰もが、彼の姿を目にして息を呑んでいた。――特に、コナリーの歪んだ指先を見たときの反応は顕著だった。「……」手袋を外したコナリーの指は、かつての美しい形を失い、関節は不自然に曲がっていた。かつて王国一の騎士と称えられた男の手は、もはや剣を握ることはできない。それでも、コナリーは静かに王の前へと進み出ると、深々と膝をつく。「陛下。魔王討伐を完遂し、帰還いたしました」王は、彼の傷ついた姿を見下ろしながら、静かに頷いた。「……ご苦労であった」その一言で、この場に再び緊張が走る。「……」コナリーは、王の言葉を受けてもなお膝をついたまま、伏せたままの視線を上げなかった。そこへ――「よく無事に帰ってきたな、コナリー」王子が声をかける。王子の声は、一見すると穏やかだったが、遥には分かった。その声の裏には、明確な警戒心と苛立ちが滲んでいる。「……だが、一つだけ確認しておきたいことがある」王子はゆっくりと歩み寄ると、まるで問い詰めるような目でコナリーを見下ろした。「石化した魔王は、完全に砕いたのか?」その問いに、場が再び静まり返る。「……」コナリーは、一拍の間を置き、静かに答えた。「確かに、粉砕いたしました」淡々とした口調だった。「――ふん、本当にそうか?」王子は目を細め、疑いの色を露わにした。「男の聖女に会いたいばかりに、任務を中途半端にして帰ってきたのではないか?」「……」遥は、コナリーの拳がわずかに握られるのを見た。――王子は、コナリーの帰還そのものが信じられなかったのだ。彼の計画では、コナリーは狂戦士のまま魔王城に消えるはずだった。だが、彼は戻ってきた。そして――王子の脳裏には、一つの危機感が浮かんでいた。(もし、コナリーが「魔王の指を落としたのは自分だ」と証言したら――)(私の立場がなくなる。)それだけは、避けなければならなかった。王子は、目線を送る。部下たちが動き始めた。コナリーが「異常をきたした騎士」として、この場で斬り捨てられるように。「……」遥は、息を呑んだ。そして、彼はすぐにコナリーの横に立つ。「そんなにも知りたいのなら――」遥は、コナリー
◆◆◆◆◆「無礼者!!!」怒声が響き渡った。王子は目を吊り上げ、怒りに震えながら遥を睨みつけた。「この私に向かって、そのような口を利くとは……!」怒りのままに、王子は遥の頬を叩こうと手を振り上げる。だが――その前に、素早くコナリーが動いた。バッ!瞬時に立ち上がり、遥の前に立つと、王子の腕を鋭く掴んだ。「――っ!」コナリーの指先は、戦いの傷で歪んでいた。それでも、その力は人並み以上に強かった。王子の腕を握ると、ほんの一瞬だが、硬直した空気が場を支配した。王子の表情が、一瞬怯えたものへと変わる。コナリーは何も言わなかった。だが、その鋭い眼差しが、王子を威圧する。「……っ!」王子は、反射的に後退りした。「コナリー……貴様……」小さく震える声が漏れる。コナリーは、静かに手を離した。「王子殿下、私は貴方の忠実な騎士でした」「……!」「ですが――」コナリー
◆◆◆◆◆「お疲れ様です、遥さん。今日の収穫はどうでした?」王都の広場の片隅で、デイジーがにこやかに声をかけた。「まあまあってところかな。古文書に記されてた『星の雫』は見つからなかったけど、それっぽいものは手に入れた」遥は、腰のポーチから小さな瓶を取り出して見せる。――この世界には、まだ発見されていない貴重なアイテムが無数に眠っている。それらを探し出し、王へと報告することが、今の遥の仕事だった。「なるほど……でも、無理しすぎないでくださいね」デイジーは、優しい笑顔を浮かべると、手に持っていた包みを差し出した。「はい、今日のお昼です」「……相変わらず、律儀に用意してくるな」遥は苦笑しながら、サンドイッチの包みを受け取る。デイジーは、遥のお世話係として王から遣わされた青年だった。年はまだ若いが、料理が得意で、毎日しっかりと食事を用意してくれる。「仕事に夢中で食べ損ねるの、遥さんの悪い癖ですからね」「わかってるって。ありがとな」遥は包みをポーチにしまい、伸びをする。「よし、仕事も終わったし、そろそろ王城に戻るか」◇◇◇昼過ぎ、王城へと戻った遥はデイジーと別れて図書館に向かっていた。そして、大広
◆◆◆◆◆「このサンドイッチ、なかなか美味しいな」「そりゃあ、デイジーの手作りだからな。あいつ、料理の腕は確かだぞ」王城の薔薇園。遥とコナリーは、昼下がりの陽光の中で穏やかな時間を過ごしていた。ベンチに腰掛け、デイジーが用意したサンドイッチを頬張る。コナリーはゆっくりと味わいながら、静かに遥へと視線を向けた。「こうして食事をするのは、悪くないですね」「なんだよ、まるで俺と食事をするのが珍しいみたいな言い方だな」「実際、珍しいでしょう?」コナリーは僅かに微笑んだ。遥はバツが悪そうに視線をそらす。確かに、ずっと忙しさにかまけて、彼とゆっくり食事をする時間など取ってこなかった。だからこそ、今この時間は――「たまには、こういうのもいいかもな」遥は、コナリーの方を見ずにぼそっと呟いた。コナリーが穏やかに微笑み、何か言いかけたその時、不意に少し離れた場所から女性の声が響いた。「――お待ちください! ルイス様!」遥とコナリーは、同時にそちらへ目を向ける。沙織が、第二王子のルイスにつきまとっていた。「ルイス様、私は第一王子殿下と契約し魔王討伐をした聖女の沙織です! どうか、少しお話を――」「申し訳ないが、今は急いでいるんだ」ルイスは、明らかに迷惑そうな表情を浮かべている
◆◆◆◆◆「やあ、遥にコナリーじゃないか」軽やかな声が響いた。遥は、サンドイッチを手にしたまま顔を上げる。目の前に立っていたのは、第二王子・ルイスだった。◇◇◇遥とコナリーは、ベンチから立ち上がり、軽く一礼する。ルイスは、王子らしい品のある仕草で手を振ると、あずまやの中へと足を踏み入れた。「邪魔をして申し訳ない。でも、以前から遥さんと話したいと思っていたんだ」そう言って、にこやかに笑う。「でも、なかなか機会がなくてね。ようやく声をかけられてうれしいよ。私はルイスだ」差し出された手を見て、遥は少し戸惑った。――握手を求められるのは初めてだった。これまで、聖女として扱われることはあっても、対等な立場として認識されたことはなかったからだ。「……あんたは王子様なんだろ?」遥は、差し出された手を見つめながら、少し考えるように呟いた。「第一王子のアランとは……その、ずいぶん様子が違うな」そう言いながら、ゆっくりと握手を交わす。「兄が失礼なことをして申し訳なかった」ルイスは微笑みながら、さらりと言った。遥は、ぎくりとする。「あ……いや、謝らないでくれ。王子が頭を下げるようなことじゃない」慌てて手を
◆◆◆◆◆コナリーの静かな圧力に押され、沙織は悔しそうに唇を噛みながら踵を返した。「……男聖女なんて、どうせ誰からも必要とされないくせに」捨て台詞を吐きながら、あずまやを出ていく。遥は舌打ちしそうになるのを堪えつつ、去っていく彼女の背中を見送った。「……面倒くせぇな」ぼそっと呟くと、隣でコナリーとルイスは納得したように頷く。ルイスは視線を遥に向け、穏やかに問いかけた。「同席してもよいかな?」「ああ、いいよ」遥が気軽に答えると、ルイスはちらりとコナリーを見てから、静かに席に座った。◇◇◇「ルイス様は、魔王討伐には参加されなかったんですよね?」遥が何気なく尋ねると、ルイスは「ええ」と頷いた。「私はその頃、隣国との領地争いの場に駆り出されていました」「……え?」遥は思わず驚く。ゲーム内では彼は隠しキャラとしてしか認識していなかった。そのため、彼がどんな背景を持ち、どんな生き方をしていたのかまでは深く知らなかったのだ。「つまり、戦っていたってことか?」遥が真剣な表情で尋ねると、ルイスは静かに微笑んだ。「ええ、そうですね。王族としての立場上、前線に立つことは少なかったですが、それでも戦火の只中にいましたよ」
◆◆◆◆◆朝の光が窓から差し込み、遥の部屋を静かに照らしていた。ぼんやりと目を覚ました遥は、ぼんやりと天井を見上げながら、昨夜の出来事を思い出す。左手を持ち上げると、薬指に嵌まったままの赤い指輪が目に入った。「……やっぱり、外れないか。」小さく息を吐き、指輪をじっと見つめる。試しに引っ張ってみるが、びくともしない。(どうするかな……このまま放っておいていいわけないし、ルイスと対策を考えないと……)そんなことを考えていると、部屋の扉をノックする音が響いた。「遥、起きているか?」ルイスの声だった。「起きてる。今開けるよ。」遥は素早く寝台から降り、扉を開ける。しかし、その瞬間――「……手袋を忘れているな。」ルイスが低く指摘する。遥は一瞬きょとんとした後、慌てて左手を隠した。「えっ、あ、しまった……!」昨夜、ルイスから“指輪を隠すために手袋を常に着用するように”と厳しく言われていたことを思い出す。「ちょ、待って、取りに――」言い終わる前に、ルイスの手が伸び、遥の腕を軽く引いた。「いい、こっちに来い。」驚く間もなく引き寄せられ、思わずルイスの胸元にぶつかる。「お、おい!」「お前がまた忘れると思
◆◆◆◆◆部屋に、静かな沈黙が落ちた。紅茶の香りだけが微かに漂う空間で、遥は冷めたカップを見つめたまま思考を巡らせる。コナリーの言葉を否定したのは自分だった。それなのに、彼が自分から離れていくのではないかと、不安に駆られている。(……何を考えてるんだ、俺。)遥は内心で自分を叱咤した。自分が答えを出したのに、コナリーの気持ちが遠のくことに怯えるなんて、都合が良すぎる。けれど、さっきのコナリーの表情を思い出すと、胸の奥が冷たくなった。(……なんで、そんな顔するんだよ。)普段と変わらぬ穏やかな表情。それなのに、その奥には何かを押し殺したような、冷えた影が見えた気がした。遥が「俺より大事な人ができたら」と言ったとき、コナリーの瞳がわずかに揺れた。けれど、彼はそれ以上何も言わず、ただ静かに頷いた。それが、妙に引っかかった。(なんか……このまま距離が開いていく気がする。)無性に焦りを覚えた遥は、何か話題を変えようと口を開いた。「なあ、ハリーと夏美に何かプレゼントを贈ろうと思うんだけど。」不意に投げかけた言葉に、コナリーがわずかに眉を上げた。「プレゼント、ですか?」「ああ。婚約のお祝いにさ。」遥は、努めて軽い調子を装いながら言った。
◆◆◆◆◆「私は本気です。」コナリーの言葉が静かに響いた。遥は思い切り紅茶を噴き出し、咳き込みながらコナリーを見つめる。「お、お前……何言ってんの?」慌てて袖で口元を拭いながら、遥は混乱したまま言葉を探した。「だって、お前、俺が女でも男でも関係ないって……そりゃ、そういう考えの人もいるだろうけどさ。冗談だろ?」「冗談ではありません。」コナリーはまっすぐ遥を見つめ、静かに答えた。「私は、遥がどのような姿であろうとも、貴方を大切に思っています。」「……っ」遥は言葉に詰まる。普段と変わらぬ静かな口調。けれど、その言葉に宿る真剣さが、遥の胸を妙にざわつかせる。冗談なんかではない。コナリーは本気でそう言っている。曖昧に笑って誤魔化そうとしたが、コナリーの表情を見て、それができる雰囲気ではないことを悟る。「……いや、でも、俺は男だし?」「それが何か問題ですか?」「えっ……」コナリーはわずかに首を傾げる。「貴方が女性ならば婚約する可能性があった、と貴方は言いましたね。」「あ、あれは冗談で……」「貴方が女性だったら婚約を考えたのですか?」「
◆◆◆◆◆コナリーは、遥の向かいに座りながら静かに紅茶を見つめていた。目の前には、いつも通りの遥がいる。だが、どこか遠くなったような気がしてならない。――指輪のことを話してくれないのか、遥。契約を交わしていたときは、互いの痛みを感じ、まるで体が重なるような感覚さえあったのに。それが今は、まるで目の前に見えているのに手が届かないような、そんなもどかしさがあった。遥が自分から離れていく。その現実を突きつけられるたび、コナリーの胸は締めつけられるようだった。(私は……遥の何なのだろうか。)聖女と契約した騎士――かつてはそうだった。だが今は、ただ王国の騎士として彼を守るだけの存在になってしまったのだろうか。その答えを探すように、彼は別の話題を振ることにした。「……今日、王城内でハリーと会いました。」「ハリー?」遥はカップを口に運びながら、小首を傾げる。「魔法使いの?」「ええ。」コナリーは頷く。「彼は契約聖女の夏美と婚約したそうです。」「えっ……!」遥は目を丸くした。「ハリーと夏美が!? 婚約?」「はい。魔王討伐を終えた後も二人は交流を深め、先日、ハリーが求婚し、受け入れられたとのことでした。」
◆◆◆◆◆ルイスの背中が廊下の向こうへと消えていくのを見届けた遥は、そっと息をついた。――コナリーには指輪のことを話せない。ルイスにそう忠告されたばかりで、胸の奥に得体の知れない重たさが沈み込んでいた。それでも、目の前にいるコナリーの姿を見た瞬間、その迷いは一時的にかき消された。「コナリー。」「お帰りなさい、遥。」コナリーの声は温かくて、遥は思わず笑みを浮かべた。「いつから待っていたの?」「そう待ってはいません。」コナリーは穏やかに微笑んだ。その表情は変わらず優しく、遥の心をほっとさせる。――けれど。コナリーの視線がふと遥の手元へと向かう。「それよりも……その手袋は?」「……!」予想していた質問だが、遥は思わず左手を握りしめ身構える。「火傷をしたんだ。」できるだけ平静を装いながら答えたが、一瞬の間ができたことを、コナリーは見逃さなかった。「火傷……?」コナリーの表情が曇る。「傷を見せてください。治療はされましたか?薬は?」矢継ぎ早に問いかけるコナリーに、遥は苦笑しながら手を振った。「大したことないって。すぐ治るさ。」「ですが――」
◆◆◆◆◆ルイスの部屋を出る前、遥は改めて自分の左手を見下ろした。その指には、未だ外れない赤い宝石の指輪が光っている。「……これ、やっぱり目立つな」遥が小さくぼやくと、ルイスが手袋を差し出した。「そのための手袋だ。今からは常に着けておくようにしろ。」遥は手袋を受け取りながら、少し困惑する。「手袋も悪目立つする気がする。」ルイスは微かに笑みを浮かべながら言った。「王家の紋章が刻まれた手袋だ。不審に思っても、無理に外そうとする者はいない」「まあ、そうだろうけど…」遥は渋々ながらも、言われた通りに手袋をはめる。指輪が見えなくなったことに、少しだけ安心する気持ちもあった。だが、元々はルイスの手袋のため、遥の手のサイズには合わずブカブカしている。「ブカブカしてる」「遥のサイズにあった手袋を用意する。それまでは我慢してくれ。」「分かった……手袋を嵌めている理由を尋ねられたら?」「手の火傷を隠すためだと言えばいい。」「……火傷ねぇ。」遥は苦笑しながら、手袋を指先までしっかりとはめた。それを確認したルイスは、満足そうに頷いた。「さて、遅くなったな。部屋まで送ろう。」「送らなくていいよ。王城の中だし、一人で歩ける。」
◆◆◆◆◆「魔王の小指!? 冗談だろ?」遥は驚愕し、反射的に左薬指の指輪を外そうとした。しかし、指輪は外れる気配すらなく、まるで遥の指の一部になったかのように馴染んでいる。「私も冗談でこんな話をするほど暇ではない。」ルイスは腕を組みながら、低い声で続ける。「王は、これはただの宝石ではなく、魔王の小指が封じられている指輪だと言った。そして、“王都にある方が危険”だとも。」「王都にある方が……危険?」遥は眉をひそめた。「そうだ。それゆえに、王はこの指輪を魔王領へ戻すよう私に命じた。」「戻すって……魔王領に放置しろってことか?」「そういうことだな。」遥は言葉を失った。――魔王を封じた指輪を魔王領に放置するのは危険だ。直感的にそう感じた。しかし、王が決めたのだから何かしら理由があるのだろう。そう自分を納得させようとしたが――「待てよ、それじゃあ――」遥は自分の指に嵌まった指輪を見つめる。「俺、このまま魔王領まで指輪ごと運ばれるってことか?」「それも選択肢の一つだが……問題は、指輪を外せないことだ。」ルイスは指を組みながら、じっと遥を見つめた。「遥、何度やっても指輪は外れないのか?」「……ああ。ダメだ、びくともしない。」遥は指輪をつまみ、捻ったり引っ張ったりしてみ
◆◆◆◆◆庭園を抜け、王城の内部へと足を踏み入れると、そこには冷たい石造りの廊下が続いていた。「さあ、こちらに。」ルイスの声が静かに響く。遥は戸惑いながらも、彼の後に続いて王城の廊下を歩いた。王族の居住区であるこのエリアは、他の区画とは明らかに違う。絢爛たる装飾が施された柱や壁、天井には精巧な彫刻が施され、随所に王家の威厳を示す紋章が刻まれている。(すげぇ…やっぱ王族の居住区は豪華だな)遥は緊張しながらも、好奇心が隠せずに周囲を伺う。城内は静まり返っていたが、それでも衛兵たちが定間隔で配置されており、遥はその威圧感に思わず身を引き締める。やがて、ルイスが歩を止めると、目の前には重厚な扉がそびえていた。扉の両脇には、王家直属の近衛兵が立っている。二人とも鋭い視線でルイスと遥を見つめていたが、ルイスが一歩前に進むと、すぐに敬礼をした。「殿下、お帰りなさいませ。」「ご苦労。」ルイスは短く答えると、静かに続ける。「この者と話がある。しばらくの間、部屋の外には誰も近づけるな。」「承知いたしました。」近衛兵たちは頷き、一歩後ろへ下がると、扉の前から移動した。ルイスは扉に手をかけ、軽く押し開く。「さあ、入りなさい。」◇◇◇ルイスの自室は、王族らしい品格を感じさせる空間だった。「お邪魔
◆◆◆◆◆「遥、どうかしましたか?」コナリーの落ち着いた声が響き、遥とルイスの肩がわずかに跳ねた。遥は一瞬コナリーの方を見たが、すぐに視線を逸らしてしまう。その態度にコナリーはわずかに眉を寄せる。そして、コナリーがさらに一歩近づいたその瞬間――ルイスが静かに遥の肩を引き寄せ、耳元で囁いた。「私に話を合わせてください、遥。」驚く遥だったが、ルイスの表情を見て、意味を察する。――今は本当のことを話すわけにはいかない、と。わずかに戸惑いながらも、遥は小さく頷いた。◇◇◇「遥、顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」コナリーは心配そうに尋ねる。「……いや、大丈夫だよ。」視線を彷徨わせながら答える遥だったが、コナリーは疑念を拭えなかった。何かがおかしい――そう感じたのだ。そして、ふと遥の手元に視線を落とす。「――その指輪は?」コナリーの低い声が響く。遥は思わず左手を引っ込めたが、コナリーの視線は鋭く、逃がさなかった。彼の指輪を見つめる瞳には、明らかな動揺が浮かんでいた。「ルイス様……その指輪、遥に贈られたものなのですか?」沈黙が流れる。その一瞬の間に、遥の鼓動は早鐘のように鳴った。どうする? 何と言えばいい?